大学に入って、洪水みたいに新しい人に、新しい組織に、そういう出会いがあったけど、時間が経った時、ちゃんと私の手元に残っているものは、多様性を大事にしてくれるという特徴がある気がした。そういうテーマがほしい。おそらく私は、心理的安全性を求めているんだと思うけど、なんだか「ここにいていいんだよ?」を強く求めている状態を宣言してしまうのは、少し、悔しいというか、素直に認められないというか。

朝方,昨日の私は,寝る前に,フライドチキンが食べたくて食べたくて,Uber eatsが使えるようになるのを,iPhoneの画面を見ながら,今か今かと待っていたら,そのまま寝てしまっていた。昼過ぎに起きて,何か,すごく鮮やかだった夢をみていた。追われていた気がするのだけど,すごく不快な感情はなくてエネルギッシュな夢だった。フライドチキンのことを思い出して,すぐに頼んで食べたけど,あんまり美味しくなかった。

ジムでティラピスをした。身体の内側にある芯がすごく熱くなるから,もくもくもくって力が湧いてくる気がする。四肢の感覚,内臓の感覚,皮膚の感覚が,細く尖って,鮮明になる。そういえば,ここ数ヶ月で,いちばん上手く自分をコントロールできている気がする。変な下心とか,追われているものがない状態で,無心で夢中になれるものがあるの,思考がクリアだし,生きがいあるし,安定してる。メンタリティと,集中力とか理解度とか,ある程度の相関はあると思っていたけれど,こんなにも深く紐付いているとは。1ヶ月前とかに苦しんでいた情緒制御とか,もう敵じゃない。余裕。いま超強い。何にでも勝てる,時間くれれば。

あ,でも,強いて言うなら,生活が,5時間くらい深夜にずれ込んでいることが,あまり良くないかもしれない。ずれ込んだ場所でのリズムはしっかり取れているんだけど。金曜日から,7時くらいに起きないといけない生活が始まるから,ん,12時間も,時差がある。あれ,どうしよう。私,目覚ましで,起きれないんだよね。

プログラム関連のものをずっと,かなり,避けてきた。でもできるに越したことはない。プログラミングできないと人権ないって。わかっているんだよ私だって。学習サイトで昔できていたであろうことを思い出すために,基礎中の基礎から。いきなり実践にぶち込まれて死んでた時より,深い理解を実感する。よかった。荒削りだった知識が1年越しに落ち着く。よかった。

荒削りな部分,プログラムに関しても,統計や数学に関しても,認知科学に関しても,たくさんある。むしろ学問領域と言う単位ではなく,興味分野という単位で繋がっているので,トムとジェリーに出てくるチーズみたいにボコボコの穴が空いてる。昔から私はあまり基礎を理解しないまま本戦に出て,体で覚えるタイプだから,RPGだと目の前が真っ暗になってお金がなくなるし,現実だと心的負荷がすごい。

昨年度はそんな私の特性を活かそうと実践にポーンと飛ばしてくれる先輩や,教授や,上司に恵まれて,あれよあれよというまにいろんなことが,なんとなくできるようになっていた。でも同時に,負荷がものすごくて,多方に迷惑をかけて,今,元気に暮らしていてごめんなさい,という気持ちになったりもする。じめじめする。

年齢とか学年とかに囚われ過ぎて,無駄な焦燥感で,何も手に負えないみたいな状況,もう経験したくない。これからは,相対的なものではなくて,絶対的なもの,自分に足りないと思ったこと,勉強したいと思ったこと,それに真摯に取り掛かる。丁寧にチーズの穴を埋める。どうだろう,アボカドペーストとか美味しそうじゃない?

noteからhatenaに日記のお引越しをした。以前日記とかブログをしていた時はhatenaで書いてたのだけれど,機能がシンプルじゃないを理由で辞めていた。手書きに移行していた日記を,再度ネットに移行しようと考え直した時,hatenaにするかnoteにするか一応迷っていた。ここは投稿する日付を自分で操作できることが良い。ディアルガみたい。基本JST+4前後で生きてるから,時間操作がないと,私の今日はまだ終わっていないのになぁという気持ちになる。

せっかくだからnoteに定着できなかった理由をいうと,多分カルチャーが違ったから。私はダークな方が好きで,いつだって闇が観たいし,闇でありたい。キラキラ世界でうまくやるのも多分得意なんだろうけど,私があまり愉快にはなれない。

愉快ではないことをもうひとつかく,最近LINEやメッセンジャーのチャット一覧画面に広告が出てくる。もう開きたくなくなるからやめてほしい。こういうところが少し神経質になりすぎているかもしれないけど,特にLINEの治安の悪い記事のリコメンドはやめてほしい。私が20代女性だからって,下手なLINE newsのnewsでもない記事のタイトルに注意を向ける,処理能力を使いたくない。でも,こういう仕事をしていたなと思い出したし,これからもすることはあるかもしれない,世界をより愉快にできれば,私はそれでいいのにな。全然愉快になるための努力をできていない,書きながら,気づく。やっぱり書くことは大事だ。

句読点を「、」「。」を「 , 」「 . 」 で設定してる人はエンジニアか理系よりの研究者だと思う。私は大勢の人から見るととても不自然であるだろう「 ,」「 。」になれてしまっている。実験系基礎系知覚系の,心理は論文やレポートでこういう書き方をする。もう読点は 「,」じゃないと,息を止めた気にならない。句点も「。」じゃないと口を閉じた気にならない。

この世界の知識,一つ一つが点のイメージで私の中には存在する。そして私は以下のような付き合い方をしている

1) その点自体が深み(重み?)を持っている 2) 点の集合を観測して初めて知識としての体系をなす 3) 点の集合は多次元空間にある 4) 思考するときは,2次元にもどさないといけない

ルールというか,美意識というか,そういうものに近いのかもしれない。これが綺麗にはまると,本当に気持ちが良い。滞りなく神経伝達物質が運ばれており,生命は素晴らしいという感覚になる。

興味の赴くままに,ざっくばらんに,直感的に,面白そうと思った論文を図書館でまとめてダウンドードして,iPadのGoodNotesに入れている。レビューとか読むと,先人たちが地味で苦しい作業を繰り返してきて積み上がった濃い知識を,数分で整理でき,そして,その知識群がどこに向かおうとしているのかの展望を追うことができる。とても便利な世の中だ。だから,たどり着いた先に落ちている知識群から拾って,その場から一旦離れてフラフラ散歩してみる。また何かの知識の群が登場して,そこにあるものたちも拾っていく。それを繰り返していると,自分にしか見えない2次元の抽出の仕方がうっすらと見えるときがある,あ,なんかこれ繋がりそうだな。大抵の場合解像度を上げて,知識を揃えて確認すると,繋がらない。がっかりしてしまう。でもそこを無理やり繋げちゃうみたいな傲慢な遊びがまだ許されている気がして,そこが楽しかったりする。「え〜,ちょっとくらいわがまま言わせてよ〜,私にはこう見えちゃうんです。貴方の知識地図を持っていると,ここはどう見えているんですか?」よくこんな感じで教授や先輩に迷惑をかけている。最も,これ以上に凄まじく迷惑をかけている項目はあるが,今回は目を瞑っておく。

夜中にブランコに乗る。このまま家に帰ってしまっては、熱りを持て余してしまいそうだという夜に、近くの公園のブランコをこいで、音楽を聴きながら声を出して歌う。夜中に大声で歌いながら全力でブランコをこぐという奇行をしているのに、誰にも注目されないから癖になっている。『十九万も持っていない、お茶の水』のフレーズでやっと顔を出すベース、無茶苦茶なのに無機質な歌詞、ブランコに乗っている時は丸ノ内サディスティックをよく歌う。21歳って、女の子なのか女性なのかわからない。私のイメージでは女性はもっと、美しく艶やかで品位のある自分の世界観を持っている、そう思っていた。大人になったらなれると思っていたけど、21歳はまだまだ子供らしく、持っている世界観はまだ、ギラギラしすぎている。しかし、女の子とも言えない少女とかもっと言えない、女の子でいたいんだけど、私を女の子といってしまっては、本物の女の子に対して失礼な気がする。しかし、私は女の子でも女性でもない、今の中途半端な状態を案外気に入ってる。きっと私みたいな人だけが、ブランコに乗ってもいいし、ウイスキーを呑んでもいい。

どうやら3月にオーストラリアで研究発表をすることになっていたらしく、大勢のエリートネイティブスピーカーの前で研究について話すなんて、きっとメルボルンに私の精神的な墓ができる。重い腰をやっとあげて初めて、オンライン英会話のレッスンを受講した。ソーシャルネットを初めて使う時って、すごく緊張する。アメーバピグでクラスの男の子とIDを交換して初めてチャットした時、配信アプリで初めてラジオ配信をした時、ネットで仲良くなった人と初めてSkypeした時、サマーウォーズの「よろしくお願いしま〜〜す」をしてるみたいな、電流や電波の流れにのって私の気持ちが運ばれていって、届いているんだ繋がっているんだ。そうやってドキドキして、その場で走り回ったり、逃げたり、大声を出したくなる。ざらざらした好奇心、落ち着かないけど不快じゃなくて、私にとって勇気は、こういう場面でのみ必要になる。告白やプロポーズよりも、勇気がいる。

夜は、高校の友達と久しぶりに会って、美味しいご飯をいっぱい食べて、適当な会話をして、昔のアニメを観て、だらだら横になった。昔の自分たちが好きだったアニメ、今でも声をあげて笑い転げることができて、何も変わってなかった。よかった。観ようとしたのもよく笑っていたのも、私の方だったんだけど、その子は、私が笑うことに対してつられて笑ってくれるし、私が好きにやってることを面白い目でただ見てくれる。無理に合わせてるのかなと気になって、私と一緒にいて楽しいの?なんで?と昔聞いたことがあるけど、楽しくなかったらこんなに長く一緒にいることはないだろう。性格も価値観も世界観もこんなに違うのに、不思議だ。