ここのところ私は、時間をうまく守れなくなっている。これは私が心身ともに疲れていたり、思考が発散していたり、とにかく何かに追い詰められているときによく起こることだ。この後のフェーズとして人に迷惑をかけまいと何か約束をするの自信がなくなっていき、社会性のあるものに恐怖するようになる。あまりよくない傾向であることは間違いない。

これから人間らしさがどう変わっていくのか、真剣に考え続けていた。一昔前より便利で合理的な生活ができる手筈は整っているのに、現代人は全然幸せそうにみえないことに疑問を持っていた。心理学をはじめとする認知科学側面から人間の心や身体の機能について学びながら、社会の現状を知る中で、ただ生存しているだけでは”良い”生を全うできないと感じた。パーソナライズされた各々の幸福を求めて生きている。そのパーソナライズされた幸福を求めている理由は、自分の存在は世界にとって代替不可能なものだと実感するという共通点があるのではないかと、一旦答えを出している。代替不可能な自分、自分らしい自分について、調査を進めることにした。特に、自己表現がしやすく、"自分らしさ”の巣窟であるSNSには昔から興味を持っていた。ここに書かれている文章は、私の中にある数少ない一貫してある信念だ。

今日は具体的な日記というものを書いてみようと思ったけど、あまり面白くなかった。もうこういう日記は書かない。  偏頭痛が酷かった。そのせいで眠すぎてしまった。TOEICを受験する予定の時間帯を布団の中で過ごした。代わりに夕方、美容院に行って髪を整えた。受けたいと思った時に受験することができない形式は自分に不向きだ。レモンが50個分入った飲料水をゴクゴクゴクッと飲んだ。苦くて酸っぱいけど不快ではなかった。無印良品の一番小さいスーツケースを購入した。スーツケースにしては高かったけど、デバイスを買う時と、無印にいる時は金銭感覚がおかしくなる。反射的に支出する。最近お金を無駄に使ってしまう。この日記を見ている皆さん、私にたかるなら、今とってもチャンスですよ。  飛行機に乗る前にいつもタピオカが飲みたくなる。10分くらいなら大丈夫かなと思い並んで注文してしまう。心の中のJKがとても喜ぶ。案の定飛行機に乗り遅れそうになったが、素晴らしい空港の設計と、登場予定飛行機の5分の遅延のおかげで死を免れた。いつもどんなに頑張っても、間に合わないと思った時は、飛行機がしっかりと遅延してくれる。正直これで4回目とかなので、そういう超能力でも持っているのかもしれない。ずっと超能力に憧れていた。小さい頃、管制塔が好きで、それをみるといつも涙を流していた。かっこいい物を見ると誰もが涙を流すんだと思っていたが、どうやら全員がそうではないらしいと気付き、涙をこらえることができるようになったからおそらく、私は大人になったのだろう。管制塔への思いはまだどこかで繋がっていて、私の飛行機遅延願望テレパシーを汲み取ってくれた。気付いたらこの日記に気持ち悪い妄想が成立しそうになっていて、余計に頭が痛くなりそうだ。

福岡に帰るたびに福岡県民は思う。福岡は素晴らしい街だ。本当に心からそう思う。今後どこかに超長期的に定住するなら必ず福岡を選びたい。まぁ仕事や夢の関係でおそらく東京になるだろう。東京で金を積んで福岡の暮らしを実現させたい。とりあえず東京で電車には乗りたくないし街を歩きたくもない。おおよそ福岡の良さは3つに収束されると思う。第一に食べ物が安くて美味しいこと、第二に交通の便が良いこと、第三にゆとりがあること。第一と第二に関しては、多くで語られていると思うので、第三について、私の日記という文脈で書く。この日記を読んでいる方にはご理解いただけるだろうが私は窮屈なものが苦手だ。満員電車やエレベーター、校則、リクルートスーツ、人混み、大勢の飲み会、タイトなスケジュール。人との距離が近くなると息の仕方がわからなくなるし、人からの抑制を感じると胸の奥がヒュッと音を立ててきつく締まる。ダメだとわかっていても、目をそらしてそのまま自然に分解されて消化とか分解とか中和とか、されてくれないだろうかと逃げてしまう。逃げれば逃げるほど立ち向かう相手が凶暴になると知っているのに、とても素直だから今のことしか考えていない。反射で生きてる。そんな人間にも、福岡や優しい街だ。街は平日でも緩やかに時間が流れているし、人と人との間は広く、空が高い。風は、分厚くて柔らかな肌触りをしている。人間がいる限り、他人からの圧力に私は苦しむのだろうから福岡でもその影響を受けているのだが、比較的福岡では安心できる。福岡は私にとって安心できる場所になった。なってしまった。それが同時に焦燥へと昇華し、今や東京に片足を踏み込んでいるのだろう。バランスが難しい。早く福岡と東京の間に住みたい。そうだ上空に住めればいいのに。人が上空に住めるようになるのはいつだろう。飛行船が欲しい。飛行船に住みたい。私は反射で生きているので、高いところが大好きだ。

人と話す。会話する。言葉を発する。何でもいいけど生活においてとても重要なことだと思う。出来るだけ言葉を丁寧に使って、言葉を大切にして、言葉に責任を持って、言葉を使える人間としての営みを楽しんでいきたいと思った。私は言葉に魅せされていて、言葉に対して敏感なくせに、時折言葉を乱暴に扱うことが多い気がした。それはチャットしているときも口頭で簡単にコミュニケーションとっている時も同様で、自分の言葉にはきちんと責任感を持つ。

元気でいますか 大事な人はできましたか いつか夢は叶いますか この道の先で 覚えていますか 揺れる麦の穂 あの夕映え地平線 続く空を探し続けていた 明日を描こうともがきならがいま夢の中へ 形ないものの輝きをそっとそっと抱きしめて進むの

 とある機会があって、数人と幾つかの話をした。人と話をすることは実はあまり得意ではない。非常によく勝手な振る舞いをしているだろう私は、側から見れば他人のことなんて全く気にしていないように、見えるかもしれない。しかし、罪悪感は月並みにある。頻繁に勝手をしてしまうにも関わらず、根本に持っているダサい真面目さが、罪悪感を発生させてしまう。この罪悪感にへのストレス耐性に極めて弱い。自由でいようと思う気持ちに少しでも抑制や監視、干渉がかかると、途端に息の仕方がわからなくなってしまう。人の目線を気にしすぎてしまい、同時に勝手すぎる自分の言動への罪悪感になる。特に新しい出会いとなると、追加で認知負荷がかかる。もうあまり新しい人と会うことは控えたいと2年くらいから前から叫んでいる、社会性を司るらしいおおよそ大脳皮質あたりが。