いつもより熱いシャワーを長めに浴びた。自分が言葉にしたいことを上手く言葉にできずに,考えるべきところで考えることができずに,自分自身に絶望した。自分の頭の中まで綺麗に,熱湯で洗い流したい。思えば私は,あらゆる『テスト』が,おおよその私が芽生えた17歳ごろからとても苦手だ。日常から切り離されたほんの一瞬で,母集団自分のうちからサンプリングされ,これが君の全部だよと説明されることに,とても心的負荷を感じる。テストを上手くこなせないからなのか,負荷があるから上手くいかないのかはわからないが,負の影響を与え合っている。自分の能力の限界を簡単に知ってしまうので,苦しくて苦しくて仕方がなくなる。 この感覚は,Higgins(多分1987くらい)がいうところの,理想自己と現実自己の差異が主に抑うつや不安と関連しているというSelf Discrepancy理論から説明できる典型的な"情緒"だ。こういう時の,心はすごく邪魔で,消えて欲しい。とにかく,心の声がうるさくなってきたので,せめて何故そこまで煩いのか知るために,この理論についてのミニレビューを読んだ。加えて,Self Discrepancyから不安感情を発生させないためには肯定的自己複雑性を高めることが有効であると書かれている論文を一通り読んだけど,そんなの知らねえ俺は実力で差を縮めてやるとなった。でも,こうやって何かについて夢中になって探求している時は情緒の声が雑音のようになるから,上手く飼い慣らせるようになってきたのかもしれない。自己概念が多くの側面から成り立っている自己複雑性が高い状態に置きたい。でも,人間社会(コミュニティ)の中でそれを作るのはすごく苦手で余計火種になるから,もっと私は何かモノで自分を表現しならないと思った。ピアノや書道や,美術や文芸を必死にやっていた中高時代は,頭の中に悪い臭いのヘドロはなかったと思う。