最近、自分の情緒が制御しやすくなった。その理由は明確にわかっている。しかし、この場で特筆するつもりのない。それは小さい頃に大人に向けていたずらを仕掛けている時緩んだり、力が入ったりするせわしない口元のようにくすぐったいことで、小さな水晶にでもこの体験を閉じ込めて、身体の最も深いところに埋めて欲しいくらい特に意味づけをせず私の生命とともにあって欲しい、そんな感覚を経験した。物体や出来事や物体同士の関係や、誰とか何とか何故とか何時とかそういう、物事の構成要素たるもの自体には、ほとんど意味はないのだけれど、私の中にある何かの感受性が、どうしたものか、一瞬だけ触れることのできた、生きるということの、この感覚を、おそらく私はこれから一生大事にしていくだろう。物事の構成要素が変わってしまおうとも、きっとこの感覚に対してはもっと敏感になっていかないと生きながらにして私は死ぬことになるだろう。この身体と精神を、ただの命の箱に、したいとは微塵も思っていない。