長期休暇が苦手だ。理由はいくつかある。第一に家族や地元の価値観の摩擦、第二に生活リズムの崩壊、第三に自然の圧力だ。1つ目について今日は書き起こしておく。

 

帰省に伴う家族や地元の価値観の摩擦によって気疲れしてしまうから長期休暇は苦手だ。もちろん地元の友達は好きでこの話とは特に関係ない。これは家族や地元にいる他人との摩擦だ。福岡や東京で活動するのが夢で、現実宮崎戻された、ような感覚になる。

 

日本の中央レベルの町に住む人々が何を考えて生きてるのか、どんな世界を生きているのか、その現状に絶望する。自分もルーツにあるのがこっち側だと思い知るとクラクラしてしまう。外世界との摩擦と言いたいが、これはきっと自分のコンプレックスの蓋が外れてしまいレジリエンスが追いついていないから、摩擦のように感じるだけだ。この渇きはいつになったら治るのだろうか。お金や学歴やステータスや結果や地位や名誉は求めても求めても求めても、上には上がいて常に代替可能なものだ。

 

代替可能な人間に存在価値はない。代替可能は死と同意だ。周りの同級生は適当にそれっぽいビジョンを掲げて代替不可能になろうとしている。資本主義社会の中で本当に上手く生きている。自己表現、広義にいうと自分による社会への提供価値が認められないと、この雲は晴れないと思って死にながら生きている。