たまに訪れる、このもはや愛おしくなってきた私のムーブ、感情や情緒や心と呼ばれるような、どこからどうやって生まれてきてきれるのかわからないこの不穏で不安定な感覚、哀情のようなメランコリックのような何に切ないわけでもない切ない気持ち、彼らの扱い方がよくわからない。娯楽で気を紛らわせたり、ひたすらじっと耐えたり、言語化で感情のチャンクの箱に閉じ込めて封印したり、している。つまるところ、彼らが私で遊ぶのに飽きて、見逃してくれるのを待っている。自分の意識や感覚を、自分から一番遠くのところに置いてきて、砂嵐の中にいる時みたいに目を凝らして様子を伺っている。落ち着いたかなと思ってそっと、熱い金属を触る時みたいに、チョンっと手先を当ててみて、大丈夫そうだったら両手で包み込んでいる。よく火傷してその傷が痛くて痛くて、また波への対応に追われてしまう。この感覚について、いろんな形で言語化しすぎていて、ちょっともう飽きてきた。早く違うステージにいきたい、例えば愛とか勇気とかそういう溢れ出るあたたかくて穏やかで輝きのある感覚をたくさん言語化したい。させてください、わたし。

少年の悲哀 / 国木田独歩 そして其夜、淡うすい霞のやうに僕の心を包んだ一片の哀情かなしみは年と共に濃くなつて、今はたゞ其時の僕の心持を思ひ起してさへ堪え難い、深い、靜かな、やる瀬のない悲哀かなしみを覺えるのである。