この世界の知識,一つ一つが点のイメージで私の中には存在する。そして私は以下のような付き合い方をしている

1) その点自体が深み(重み?)を持っている 2) 点の集合を観測して初めて知識としての体系をなす 3) 点の集合は多次元空間にある 4) 思考するときは,2次元にもどさないといけない

ルールというか,美意識というか,そういうものに近いのかもしれない。これが綺麗にはまると,本当に気持ちが良い。滞りなく神経伝達物質が運ばれており,生命は素晴らしいという感覚になる。

興味の赴くままに,ざっくばらんに,直感的に,面白そうと思った論文を図書館でまとめてダウンドードして,iPadのGoodNotesに入れている。レビューとか読むと,先人たちが地味で苦しい作業を繰り返してきて積み上がった濃い知識を,数分で整理でき,そして,その知識群がどこに向かおうとしているのかの展望を追うことができる。とても便利な世の中だ。だから,たどり着いた先に落ちている知識群から拾って,その場から一旦離れてフラフラ散歩してみる。また何かの知識の群が登場して,そこにあるものたちも拾っていく。それを繰り返していると,自分にしか見えない2次元の抽出の仕方がうっすらと見えるときがある,あ,なんかこれ繋がりそうだな。大抵の場合解像度を上げて,知識を揃えて確認すると,繋がらない。がっかりしてしまう。でもそこを無理やり繋げちゃうみたいな傲慢な遊びがまだ許されている気がして,そこが楽しかったりする。「え〜,ちょっとくらいわがまま言わせてよ〜,私にはこう見えちゃうんです。貴方の知識地図を持っていると,ここはどう見えているんですか?」よくこんな感じで教授や先輩に迷惑をかけている。最も,これ以上に凄まじく迷惑をかけている項目はあるが,今回は目を瞑っておく。