「どうしてそんな文章を書くの?」おそらく短歌をやっていた時の悪癖である。人間が感じることのできる感覚や感情は枠組みがないとても曖昧で繊細でリアルで生々しいものであると思う。人間はその主観をそのまま伝えるすべを持たない。もっとも広くで使用されている言葉という表現のための道具は、感情や感覚の枠組みを定義しているに過ぎないから、鮮度がかなり落ちる。感覚の鮮度をできるだけ高く言葉で表現するのが、文芸だと思っていて、使用できる単語の数が少ない俳句や短歌なんかはかなり洗練された言葉だと思う。

認識と言葉についてや人間のコミュニケーションについて、昔はたくさん考えて葛藤していた。最近の私は自分を制御することばかり考えて制御しやすい範囲に収まるようになってしまった。もう自分では手に負えないような苦しい戦いをすることは減ったし、無心で毎日生活できる。強いていうなら、たまに如何しようも無い怒りのような感情を覚えることがある。暴力的な攻撃的な感情だ。とは言いつつ、私はほとんど一定の個人には怒りを持たないし、暴力的なことも争いごとも嫌いだし苦手だ。ただ、自分の力で変えようのない如何しようも無い不可抗力で圧倒的な力や、理不尽さに触れてしまうと、行き場のない生臭く湿気の強い感情があり、換気が必要になる。それはどこか怒りに似ている気がするのだが、怒りと枠組みことはあまり進まない。私が言葉を知らない。