醜さ。文章も容姿も振る舞いも声も人格も能力も、存在も、自分のことはたいてい醜いと感じていたことがある。でも、醜いとか美しいとかは物質としての形容ではなくて、情報としての形容だと、社会と情緒の波に溺れている時に感じた。情報としての形容、その情報の付与権は個人にある。物質自体には美しさも醜さもなく、ただそこにある物質にすぎず、人間個人が何かに意味づけをし、情報を付与することで醜さとか美しさの形容が生まれる。自他からの評価を美しくしたい人は世の中に多い。それは物質自体ではなくて情報自体を改善する働きをすべきだ。例えば、凛と堂々と姿勢良く歩いていればとか、美しいものであると自認して生活するとか、醜いものは同時に美しく、またその判断は全ての人間個人のもつ情報に依存している。