日記が書けずに2日も経ってしまった。何かをじっくり考える隙間がない2日だった。拘束されるような用事があれば時間は勝手に流れているし,夜はすぐに寝付ける。とても良いことだ。しかし,どうしてだか,今私が生きているという実感は薄くて,こんな毎日がだらだらと過ぎてしまうなら死んでいることも生きていることもさほど変わりはないのだなと思った。情けない。私は自分が大嫌いな情緒に振り回されている時に一番自分が生きている,自分がここに存在している,と感じることできる。情緒が生きていく上で不要で邪魔なものだと言い過ぎていたが,必要だから淘汰圧の中で残っているのであって,やはり,それはつまり,情緒がないと生きている実感がわかないということになること,納得がいくというか,非常に当たり前というか,一体私は何をつらつらと,文字を入力しているんだろうという疑問すら湧いてくる。私は常に当たり前なことを見失い,非常に当たり前なことに気づく,この過程を繰り返しならが,人間として生きている。