今日は具体的な日記というものを書いてみようと思ったけど、あまり面白くなかった。もうこういう日記は書かない。  偏頭痛が酷かった。そのせいで眠すぎてしまった。TOEICを受験する予定の時間帯を布団の中で過ごした。代わりに夕方、美容院に行って髪を整えた。受けたいと思った時に受験することができない形式は自分に不向きだ。レモンが50個分入った飲料水をゴクゴクゴクッと飲んだ。苦くて酸っぱいけど不快ではなかった。無印良品の一番小さいスーツケースを購入した。スーツケースにしては高かったけど、デバイスを買う時と、無印にいる時は金銭感覚がおかしくなる。反射的に支出する。最近お金を無駄に使ってしまう。この日記を見ている皆さん、私にたかるなら、今とってもチャンスですよ。  飛行機に乗る前にいつもタピオカが飲みたくなる。10分くらいなら大丈夫かなと思い並んで注文してしまう。心の中のJKがとても喜ぶ。案の定飛行機に乗り遅れそうになったが、素晴らしい空港の設計と、登場予定飛行機の5分の遅延のおかげで死を免れた。いつもどんなに頑張っても、間に合わないと思った時は、飛行機がしっかりと遅延してくれる。正直これで4回目とかなので、そういう超能力でも持っているのかもしれない。ずっと超能力に憧れていた。小さい頃、管制塔が好きで、それをみるといつも涙を流していた。かっこいい物を見ると誰もが涙を流すんだと思っていたが、どうやら全員がそうではないらしいと気付き、涙をこらえることができるようになったからおそらく、私は大人になったのだろう。管制塔への思いはまだどこかで繋がっていて、私の飛行機遅延願望テレパシーを汲み取ってくれた。気付いたらこの日記に気持ち悪い妄想が成立しそうになっていて、余計に頭が痛くなりそうだ。

福岡に帰るたびに福岡県民は思う。福岡は素晴らしい街だ。本当に心からそう思う。今後どこかに超長期的に定住するなら必ず福岡を選びたい。まぁ仕事や夢の関係でおそらく東京になるだろう。東京で金を積んで福岡の暮らしを実現させたい。とりあえず東京で電車には乗りたくないし街を歩きたくもない。おおよそ福岡の良さは3つに収束されると思う。第一に食べ物が安くて美味しいこと、第二に交通の便が良いこと、第三にゆとりがあること。第一と第二に関しては、多くで語られていると思うので、第三について、私の日記という文脈で書く。この日記を読んでいる方にはご理解いただけるだろうが私は窮屈なものが苦手だ。満員電車やエレベーター、校則、リクルートスーツ、人混み、大勢の飲み会、タイトなスケジュール。人との距離が近くなると息の仕方がわからなくなるし、人からの抑制を感じると胸の奥がヒュッと音を立ててきつく締まる。ダメだとわかっていても、目をそらしてそのまま自然に分解されて消化とか分解とか中和とか、されてくれないだろうかと逃げてしまう。逃げれば逃げるほど立ち向かう相手が凶暴になると知っているのに、とても素直だから今のことしか考えていない。反射で生きてる。そんな人間にも、福岡や優しい街だ。街は平日でも緩やかに時間が流れているし、人と人との間は広く、空が高い。風は、分厚くて柔らかな肌触りをしている。人間がいる限り、他人からの圧力に私は苦しむのだろうから福岡でもその影響を受けているのだが、比較的福岡では安心できる。福岡は私にとって安心できる場所になった。なってしまった。それが同時に焦燥へと昇華し、今や東京に片足を踏み込んでいるのだろう。バランスが難しい。早く福岡と東京の間に住みたい。そうだ上空に住めればいいのに。人が上空に住めるようになるのはいつだろう。飛行船が欲しい。飛行船に住みたい。私は反射で生きているので、高いところが大好きだ。

人と話す。会話する。言葉を発する。何でもいいけど生活においてとても重要なことだと思う。出来るだけ言葉を丁寧に使って、言葉を大切にして、言葉に責任を持って、言葉を使える人間としての営みを楽しんでいきたいと思った。私は言葉に魅せされていて、言葉に対して敏感なくせに、時折言葉を乱暴に扱うことが多い気がした。それはチャットしているときも口頭で簡単にコミュニケーションとっている時も同様で、自分の言葉にはきちんと責任感を持つ。

元気でいますか 大事な人はできましたか いつか夢は叶いますか この道の先で 覚えていますか 揺れる麦の穂 あの夕映え地平線 続く空を探し続けていた 明日を描こうともがきならがいま夢の中へ 形ないものの輝きをそっとそっと抱きしめて進むの

 とある機会があって、数人と幾つかの話をした。人と話をすることは実はあまり得意ではない。非常によく勝手な振る舞いをしているだろう私は、側から見れば他人のことなんて全く気にしていないように、見えるかもしれない。しかし、罪悪感は月並みにある。頻繁に勝手をしてしまうにも関わらず、根本に持っているダサい真面目さが、罪悪感を発生させてしまう。この罪悪感にへのストレス耐性に極めて弱い。自由でいようと思う気持ちに少しでも抑制や監視、干渉がかかると、途端に息の仕方がわからなくなってしまう。人の目線を気にしすぎてしまい、同時に勝手すぎる自分の言動への罪悪感になる。特に新しい出会いとなると、追加で認知負荷がかかる。もうあまり新しい人と会うことは控えたいと2年くらいから前から叫んでいる、社会性を司るらしいおおよそ大脳皮質あたりが。

不思議な夢をみた。

ぬるい空気。ゆるい服。中途半端な明かり。そこにゆっくり時間が流れていたけど、私の心臓だけはギュッと苦しかった。凹凸が少ない楕円形の、3人がけの硬いソファーが2つ連なった6人乗りの空飛ぶ乗り物、前列の運転席でハンドルを握って限界に近い速度で移動していた。恐ろしいものに追われていたので、目的地である塔の麓に到着しその乗り物から飛び降りた。硬くザラザラした赤黒い地質で傾斜の激しい道がありの巣のように複雑で、縦にも横にも深い。でも天井はなくて、空は高くその土地そのものが高いところにポツンと浮かんでいるような、場所にいた。建物の中を歩くと、鍾乳洞のようにひとつひとつに部屋があることがわかった。パステルカラーの羽毛ぶとんやリボンやレースが詰まっている部屋の壁一面のガラスから淡い水色の空と薄い雲を見つめて、やっぱりこの鍾乳洞は空に浮かんでいることを再認し、地上がみえなことに恐怖した。

部屋に入って、自分のパソコンを開いた。仲間の状況を確認しながら計画を立てていた。知り合いのようだが、あまり好感を抱いていない、ある男が部屋に入ってきた。声をかけて、「君のidを知ってから、君が登録している情報をハッキングして、色々みたんだけど、君ってすごく面白いね。」と言われて、すごく不快になりもっとその男のことがさらに苦手になった。

いつでも、本に埋もれてみたいなとは思っている。しかし、本を読むことは得意ではないし、今まで本をちゃんと読んだ経験は実のところ本当に数えるほどしかない。とても苦手だ。でもどうしてか、本をたくさん読む人と気が合い、仲良くなることが多い。「君も僕らみたいな本の虫でしょう?」と言わんばかり。言葉や文章は好きだ。馴染みがある。ネット小説が好きで、青年期は、陳腐で低俗な文字の連なりの中から少しでも知性を感じるものを探すように、たくさん読んでいたことを今でも、本と習慣の話題について考えるときは思い出す。それが知性や教養みたいなものに結びついていたかどうかはわからない。

情緒の雑音を消すために大きな音で再生していた音楽や誰かの物語が、逆に自分の情緒のノイズになっていて、ぼーっとしてしまう。時間がいつもよりはやく過ぎ去っていってしまい、体調を崩してからそれに拍車をかけた。具体的に言うと、30分の体感が5分くらい。周りと自分の時間の感覚がずれると結構苦しい。生きていると言うことが、意味がわからなくなる。

せっかく美しく用意した私の舞台が台無しになってしまった。おそらく美しく用意しすぎて、その舞台にたつ不完全で未熟な私には、扱えるものではなかったのかもしれない。もう思考が麻痺したり揺れ動いたりぼんやりとしてしまうの感覚が薄れてしまっている。あの劇場は過去のものになってしまった。もう私だけでさえも戻れない。この類の物語に触れることがもう楽しくなくなってしまった。忘れ物は捨てよう。