夏日に照らされて暖かくなってしまったプールのような、だらしがない曇りの朝、自宅から最寄りの駅まで歩いた。右足を出して、踏み込んで、左足を出して、踏み込んで、そうして前進していく。歩く感覚を味わいながら、今日の自分の心身の調子を伺う。まっすぐ歩けるけれどや活力はなくて重くて、けれど体調のそれ自体が悪かった昨日や一昨日よりも強く踏み込めて前には進める。水を一口飲んで咳き込んだ拍子に頭の奥で鈍い痛みがした。この身体とこれからもずっと向き合って行かなければならないんだなとなんとなく思った。意識が身体を超えられるのはいつになるのだろうか。私の身体と意識はどうも、不揃いなパーツ同士な気がしてならない。

長期休暇が苦手だ。理由はいくつかある。第一に家族や地元の価値観の摩擦、第二に生活リズムの崩壊、第三に自然の圧力だ。1つ目について今日は書き起こしておく。

 

帰省に伴う家族や地元の価値観の摩擦によって気疲れしてしまうから長期休暇は苦手だ。もちろん地元の友達は好きでこの話とは特に関係ない。これは家族や地元にいる他人との摩擦だ。福岡や東京で活動するのが夢で、現実宮崎戻された、ような感覚になる。

 

日本の中央レベルの町に住む人々が何を考えて生きてるのか、どんな世界を生きているのか、その現状に絶望する。自分もルーツにあるのがこっち側だと思い知るとクラクラしてしまう。外世界との摩擦と言いたいが、これはきっと自分のコンプレックスの蓋が外れてしまいレジリエンスが追いついていないから、摩擦のように感じるだけだ。この渇きはいつになったら治るのだろうか。お金や学歴やステータスや結果や地位や名誉は求めても求めても求めても、上には上がいて常に代替可能なものだ。

 

代替可能な人間に存在価値はない。代替可能は死と同意だ。周りの同級生は適当にそれっぽいビジョンを掲げて代替不可能になろうとしている。資本主義社会の中で本当に上手く生きている。自己表現、広義にいうと自分による社会への提供価値が認められないと、この雲は晴れないと思って死にながら生きている。

 まだ、梅雨も開けていないし、日差しから熱を感じることもない、蒸し暑い時もあれば、肌寒かったような、もう季節についてはっきり思い出すことができない六月の最後の投稿からもう二ヶ月が立っていた。この期間、私は一体何をしていたのかというと慌ただしく就職活動やインターン退職、転職や内々定者懇親会などの俗事を行なっていた。俗事ではない変化というと、責任のない言葉をインターネットに発信することをやめ、たくさんのSFアニメ作品を観た。

 アイスコーヒーには刺々しい毒のような苦味が凝縮されている。胃壁に滴るあの不快さを冷たさだけの為に我慢している。

最近、自分の情緒が制御しやすくなった。その理由は明確にわかっている。しかし、この場で特筆するつもりのない。それは小さい頃に大人に向けていたずらを仕掛けている時緩んだり、力が入ったりするせわしない口元のようにくすぐったいことで、小さな水晶にでもこの体験を閉じ込めて、身体の最も深いところに埋めて欲しいくらい特に意味づけをせず私の生命とともにあって欲しい、そんな感覚を経験した。物体や出来事や物体同士の関係や、誰とか何とか何故とか何時とかそういう、物事の構成要素たるもの自体には、ほとんど意味はないのだけれど、私の中にある何かの感受性が、どうしたものか、一瞬だけ触れることのできた、生きるということの、この感覚を、おそらく私はこれから一生大事にしていくだろう。物事の構成要素が変わってしまおうとも、きっとこの感覚に対してはもっと敏感になっていかないと生きながらにして私は死ぬことになるだろう。この身体と精神を、ただの命の箱に、したいとは微塵も思っていない。

嘘が上手い人間がいる。私はとてもまっすぐで単純な思考構造をしている人間だから他人が言葉にしたことは全て真実だと思ってしまう。嘘なんだろうかと疑うと言うこともほとんどしない。だから他の人間がいとも簡単に、バナナの皮を向くようにふわさっと嘘をついていることを知ると、一番目にすごいなぁと思う。次に、ちょっとだけ怖いなぁと思う。他の人を、信じていいのかわからない、自分のことも信じていいのかわからない。私の中の私も自分の知らないところでたくさん嘘をついてしまっているのだろうか。きっと嘘の病に感染しているはずだ、汚染された現代社会をもう21年も生きてるのだから。

 人間の感覚について考えることが好きなので私の五感に関する自己評価をした。五感とは、視覚・聴覚・味覚・嗅覚・皮膚感覚で、人間が外界からの刺激を受容するための重大な感覚器だ。それらがないと、私たち人間はこの世に存在しているという感覚を得ることが難しくなる。そして加えるか迷ったけど第六感とか言われる直感みたいなものもあるがおそらく脳のメモリや意思決定の話も入ってきてしまい単純な刺激へのフィードバックという意味では表現が難しいので今回は除外する。本当は第六感について考えることが一番好きだ。

 自分の五感に関する情報をなんとなくまとめてみた。俯瞰してみると痛みや嫌悪刺激に対する抵抗がかなり弱そうだった。だらだら箇条書きしていたがつまらないので削除してしまった。敏感だと思い込みすぎて敏感になっているのかもしれないが、やはり嫌悪刺激が少しでもあると気が滅入り、普段のパフォーマンスが出せなくなるのは欠陥だと思う。鈍感でいたい。どうやったら世界の情報を少なくして豊かに生きていくことができるのだろうか。

 先週末は、14歳以来に京都を訪れた。当時の京都は神社巡りしたり着物を着たりで完全に観光として行ったが、今回は京都での日常を感じれるような旅だった。終始穏やかな気持ちで過ごした。水の音と好きな音楽を聴いた。お酒を飲んだ。体調が悪くならない酔い方をした。非日常は好きだけれどあらかじめ用意されてしまう、旅行やサプライズみたいな非日常はとても苦手だ。日常の中にあるカオス性みたいな非日常の方が魅力を感じ、そういう歌や小説を好んでいる。

 

時には誰かを 知らず知らずのうちに 傷つけてしまったり失ったりして初めて犯した罪を知る

 

戻れないよ、昔のようには煌めいて見えたとしても明日へと歩き出さなきゃ雪が降り頻ろうとも

 

今の僕には何ができるの?何になれるの?誰かのために生きるなら正しいことばかり言ってらんないよなどこかの街でまた出逢えたら僕の名前を覚えていますか?その頃にはきっと春風が吹くだろう

 

真っ新に生まれ変わって人生一から始めようが
へばりついて離れない地続きの今を歩いているんだ真っ白に全てさよなら降りしきる雪よ全てを包み込んでくれ今日だけは全てを隠してくれ

 

もう戻れないよ、昔のようには羨んでしまったとしても明日へと歩き出さなきゃ雪が降り頻ろうともいつものように笑ってたんだ分かり合えると思ってたんだ曖昧なサインを見落として
途方のない間違い探し季節を越えてまた出逢えたら君の名前を呼んでもいいかなその頃にはきっと春風が吹くだろう

 

真っ新に生まれ変わって人生一から始めようが首の皮一枚繋がった如何しようも無い今を生きていくんだ真っ白に全てさよなら降りしきる雪よ今だけはこの心を凍らせてくれ全てを忘れさせてくれよ

 

朝目覚めたらどっかの誰かになってやしないかななれやしないよな聞き流してくれ忙しない日常の中で歳だけを重ねたその向こう側に待ち受けるのは天国か地獄かいつだって人は鈍感だものわかりゃしないんだ肚の中それでも愛し愛され生きて行くのが定めと知って後悔ばかりの人生だ取り返しのつかない過ちの一つや二つくらい誰にでもあるよなそんなんもんだろううんざりするよ

 

真っ新に生まれ変わって人生一から始めようがへばりついて離れない地続きの今を歩いて行くんだ真っ白に全てさようなら降りしきる雪よ全てを包み込んでくれ今日だけは全てを隠してくれ

 

白日 / King Gnu