とある方のパニック障害に関するブログを読んだ。わたしはまだ23歳と自我人生でいうと乳幼児で幼稚園にも通ってない。私には想像しがたい苦悩があったはずだ。そして、私もあとこれを10年以上溺れ続けなければいけないのか、と一瞬影を落としたが、脱してみせるし、制御してみせる、と最近は驚くほど前向きだ。きっと社会人になって前頭葉が腐って思考が浅く遅くなって阿保にしまった。いまわたしのNERVがとってる戦略は所謂ウォーターフロントだ。感情の波ごと泥や仕事や薬やで、埋めている。パニック障害でも自律神経がおかしくても発達障害でも、死んだ金魚を庭に埋めるように湿った地を掘り、土を被せ、そこによもぎが茂ってくれるのを待っている時間帯なのだ。全く私は掘り起こすような真似だけは控えてほしい。

挫折の話

 私は自分の興味があることだけを貪欲に学び続けたし、完成度は低くとも形だけでもアウトプットすることを強く意識していた。学術団体の支部を立ち上げ、大学の教授をはじめとし、学術団体で出会った先輩方などの、お力を本当に大きく借りて、国内外での学会発表や研究活動も積極的に取り組んでいた。ただ、興味の幅を最後まで狭めることができず、薄く広くの専門性の低い自分の考えは学部生という枠組みでのみ許されるものであり、結果として応募した研究所のリサーチインターンや研修プログラムにはアプライしつつもほとんど落ちた。当たり前のことではあるが、当時の私は自分ほどの熱意があるのに何故通用しないのか理解に苦しんだ。学術世界は多種多様で自由な世界と言えども、支援や優遇の対象として「わかりやすい優秀さ」が必要だった。GPA/学歴/資産/語学力など、私は「わかりやすい優秀さ」を持っていなかったし、それを高める努力も苦手だった。ただ、今まで知的好奇心を満たしながら生活のために必要だったインターンなどの活動が功を奏し、IT業界での自分の人材としての価値をある程度評価されることが増えた。このまま、この「ユニークさ」が許され、高められ、発揮できる、そこに需要があるのであればそれは私にとても幸福なことだった。これは挫折の話、物語の裏側の話。

全身麻酔をした

朝の六時から動き始める。まずは手の甲に点滴をするとき用の麻酔テープを貼ってもらう。着替えたり細かい検温などを済ましてあとは面会に来てくれた家族と話つつ待つ。全身麻酔の手術の際には家族の同行が推奨されているらしい。九時前、歩いて手術室に向かって自分で手術台に横になる。心電図や脳波の測定器を取り付けられる。左手の甲に点滴の針が刺される。チクッとしたけど麻酔のシールが効いていて予想以上の痛みはない。「これ針って抜けないんですか?」「柔らかい針になっていて抜けないんですよ〜」点滴という技術が社会に与える恩恵はいかほどなものかと思いを巡らせていた。看護師さんの「痛み止めの薬を入れますね〜ふわっとします〜」の声、すぐに、目の奥がふわっとしてきて視界がぼんやりして目の前にある時計が歪んで見える。ほぅこれが麻酔かやはり文明の利器は素晴らしいな、と人類築き上げた医学の成果物を評価していると、麻酔の先生から「これから麻酔を入れます、ちょっと痛みますよ〜」との声がする。あれ、さっきのは麻酔じゃないんだと思ったのも束の間、本当に痛いものが左手の甲、手首、肘、腕と登ってくる。痛い。痛みを他の感覚で例えると、臭いは間違いなく刺激臭で、透明に見えるけど色は黄色とか赤いもしくは、茶色の色をしているような痛みを伴う、おそらく無味無臭の液体が体内に入ってきた。物理とか生物的な痛みではなくて、これは化学的な痛みだなとよくわからないことをはっきり感じたのを覚えている。間違いなく今まで感じたことのない種類の痛みで身体の内側から何かに侵略されているような。目の前の歪んでいく手術室の掛け時計をみながら「ますい...これ...ちゃんと...かかってますか...」とか「えっ...呼吸が...息が...苦しいです...」とか自分の身体に起こっている緊急事態を必死で報告するも、動じない大人たちをみて、白状に感じつつも、彼らにとっては普通の事態、つまりうまく機能しているんだなと安心した。次の瞬間、口の中が焼き魚臭かった。サンマの塩焼きを食べた後のような後味の悪さだった。「意外と小さかったですよ〜」と看護師さんの声がした。口臭の異変を訴えたら、「焼いたからだと思いますよ」と機嫌の良さそうな声が聞こえた。ていうかもう終わったの全身麻酔やばくない!?と心は興奮しつつも、次の意識の浮上は自分の病室と自分のベットだった。どうやってここに戻ってきたのだろう。家族や看護師さんとその都度いくつか受け答えをしたが、自分でもびっくりするくらいハキハキ喋れた。喉に異物感があるが、痛みはなかった。のちに気付くことではあるが、これは麻酔で痛みを感じていないだけだった。いくつか行った受け答えも連続的な記憶としては存在しておらず、朦朧とする連続的な意識の中で瞬間瞬間だけ覚醒して、会話をしているみたいだった。風邪をひいた時みたいに出た熱、混濁した意識、喉の痛み、飲み込めない唾液、腫れて難しい呼吸、浅い眠り、それらの中をうつろいでいた。

愛についての?かわいい映画をみたら、愛とかつながりとか仲間とかそういうものがよくわからなくなった。建前とか恥ずかしさとか、何も考えずに素直に愛を伝え合う物語の登場人物をみて、なんで私はこんなにシンプルで簡単ななことをうまくこなせないんだろうと、なんで難しく考えるフリをいつもしてるんだろう。ただ虚無を肴に酒を呑むようなことをしてるんだろうと、苦しくなった。

 

例えば、家族。大切に思ってるはずなのに素直な感情表現がとても苦手だ。例えば、友達。常に自分は道化だ。例えば、恋人・その類。そもそも自分は真っ当に誰かを好きになったり愛したりしたことがあるのだろうか、依存していただけではないだろうか。

 

人はひとりでは生きていけないが、依存と共存は違う。繋がりの本質的な意味は、血縁、契約や、又は『親友』や『恋人』などのラベルではない。しかし私たち人間は、どうして血縁を大事だというのか、どうして私たちって素晴らしい仲間だよねと言い合うのか、どこに愛やつながりがあり、どう努力すれば綺麗に胸を張って受け取れるのだろう。

 

自分は愛情深いし感度も高い人間だと思うが、それを直接伝えることがあまり得意ではない気がする。直接言葉や文字や態度で伝えることが全てではないと思うが、その伝える手段にまわりの人とのズレがある。ズレてしまうのがいちばん怖い。この行き場のない思い、表現の仕方がわからない思いが強く、いつまで経っても強い対人恐怖と弱い対人耐性がある。

 

何か絶対的な自信になるものが必要で、そのために努力しなければならないと思う。今まで社交に関してはおそらく才に恵まれており、対人関係の能力の成長の機会を失ってきたのかもしれないし、忘れているだけで何か大きなトラウマがあるのかもしれない。よくわからない、でもずっと人が怖い。

 

 

アナと雪の女王2、ぜひご覧下さい。

醜さ。文章も容姿も振る舞いも声も人格も能力も、存在も、自分のことはたいてい醜いと感じていたことがある。でも、醜いとか美しいとかは物質としての形容ではなくて、情報としての形容だと、社会と情緒の波に溺れている時に感じた。情報としての形容、その情報の付与権は個人にある。物質自体には美しさも醜さもなく、ただそこにある物質にすぎず、人間個人が何かに意味づけをし、情報を付与することで醜さとか美しさの形容が生まれる。自他からの評価を美しくしたい人は世の中に多い。それは物質自体ではなくて情報自体を改善する働きをすべきだ。例えば、凛と堂々と姿勢良く歩いていればとか、美しいものであると自認して生活するとか、醜いものは同時に美しく、またその判断は全ての人間個人のもつ情報に依存している。

胸が苦しい 具体的な情動を感じている訳ではないがあまり理由がわからないままずっと胸だけが苦しい 心臓のあたりが熱く小さく収縮していて自由な呼吸がしにくい 最近苦しくて切ない小説ばかりを読んでいたのでその小説の誰かに感情移入してしまったのかもしれないが該当しそうな人物の心当たりはない 自分以外の人間のことを考えるといつも辛くなる 自分が恐ろしくなる なぜ他人にそこまで関心があるのだろう 基本的に自分のことを考える時間が多いのだが、自分のことを考えながら他人の評価考えている場合が多い 自分の中から出来るだけ他人を除外して生きないと精神的に自立することは難しいと思う 心にある不純物を、刀を打つように、少しずつ少しずつ、熱して叩いていく そのために文章は書いている もう要らないから全部忘れたい うまく自分を割り切れなくてこのままだと何もできない 感情を大事にするメリットがないはずなのに感情に囚われている 感情の制御をしようすればするほどより過敏になってしまっている気がする