幸福と恐怖の波に揺られて夜を過ごしている。自分による自分の認識力が弱いせいで自分を取り巻く世界を正しく把握できない。目に入れても痛くないような安心と幸福の象徴が、翌日には嫌悪と恐怖の象徴になっていることが頻繁にある。こうして客観的に言葉にしてみると異常だということに気づく。状態はかなり危険で、自分を正常に保つことが難しい。そして、そうやって自分をうまく管理できないことがとても悔しい。私は自分にはもう負けたくない。心の状態が悪い時、私はほとんど集中できないため、作業そのものができない。ただただ静かに作業をしたい。安心して勉強や調べごと、将来的には仕事をしたい。自分のためじゃない誰かのため何かのために頑張らようにするか、もしくは自分自身へのメンタリングをアウトソーシングするべきだ。ちょうど努力の限界を感じてた。

‪狂気的な物語に触れると当たり障りのないコミュニケーションに価値を感じなくなる。早くいろんな人たくさんの人と、本当に狂気的な拘りとか、好意とか愛とか憎悪で殴り合うみたいな深くて濃いコミュニケーションがしたい。が、最近のわたしは狂気を拒絶されたり引かれたりすることへ臆病になっていて、基本的にあまり大胆なことをしてない。なんてつまらない日々なのだ。‬

たまに訪れる、このもはや愛おしくなってきた私のムーブ、感情や情緒や心と呼ばれるような、どこからどうやって生まれてきてきれるのかわからないこの不穏で不安定な感覚、哀情のようなメランコリックのような何に切ないわけでもない切ない気持ち、彼らの扱い方がよくわからない。娯楽で気を紛らわせたり、ひたすらじっと耐えたり、言語化で感情のチャンクの箱に閉じ込めて封印したり、している。つまるところ、彼らが私で遊ぶのに飽きて、見逃してくれるのを待っている。自分の意識や感覚を、自分から一番遠くのところに置いてきて、砂嵐の中にいる時みたいに目を凝らして様子を伺っている。落ち着いたかなと思ってそっと、熱い金属を触る時みたいに、チョンっと手先を当ててみて、大丈夫そうだったら両手で包み込んでいる。よく火傷してその傷が痛くて痛くて、また波への対応に追われてしまう。この感覚について、いろんな形で言語化しすぎていて、ちょっともう飽きてきた。早く違うステージにいきたい、例えば愛とか勇気とかそういう溢れ出るあたたかくて穏やかで輝きのある感覚をたくさん言語化したい。させてください、わたし。

少年の悲哀 / 国木田独歩 そして其夜、淡うすい霞のやうに僕の心を包んだ一片の哀情かなしみは年と共に濃くなつて、今はたゞ其時の僕の心持を思ひ起してさへ堪え難い、深い、靜かな、やる瀬のない悲哀かなしみを覺えるのである。

文章依存や言語依存、もっというと表現依存がとても強い。Twitterが普及したとか、スマホが普及したとか、そういうここ最近の話ではなく物心ついた頃からだ。言語や描写などの手段を使って、自分の頭にある混ざった絵具の渦を、できるだけ綺麗な状態で、金魚すくいのようにすくって自分と分離させてなければ、船酔いをしてしまうような感覚がずっとある。身体と精神、脳が成長するにつれ、手先が器用になり難しい言葉も覚え、船の上でも落ち着いて金魚すくいができるようになっていった。船酔いは減ったけど、極彩色の渦を忘れられない。

 

「どうしてそんな文章を書くの?」おそらく短歌をやっていた時の悪癖である。人間が感じることのできる感覚や感情は枠組みがないとても曖昧で繊細でリアルで生々しいものであると思う。人間はその主観をそのまま伝えるすべを持たない。もっとも広くで使用されている言葉という表現のための道具は、感情や感覚の枠組みを定義しているに過ぎないから、鮮度がかなり落ちる。感覚の鮮度をできるだけ高く言葉で表現するのが、文芸だと思っていて、使用できる単語の数が少ない俳句や短歌なんかはかなり洗練された言葉だと思う。

認識と言葉についてや人間のコミュニケーションについて、昔はたくさん考えて葛藤していた。最近の私は自分を制御することばかり考えて制御しやすい範囲に収まるようになってしまった。もう自分では手に負えないような苦しい戦いをすることは減ったし、無心で毎日生活できる。強いていうなら、たまに如何しようも無い怒りのような感情を覚えることがある。暴力的な攻撃的な感情だ。とは言いつつ、私はほとんど一定の個人には怒りを持たないし、暴力的なことも争いごとも嫌いだし苦手だ。ただ、自分の力で変えようのない如何しようも無い不可抗力で圧倒的な力や、理不尽さに触れてしまうと、行き場のない生臭く湿気の強い感情があり、換気が必要になる。それはどこか怒りに似ている気がするのだが、怒りと枠組みことはあまり進まない。私が言葉を知らない。

今日は文章が読めた。理由はわからない。コーヒーをちゃんと飲んでいたからかもしれないし、久しぶりにうどんを食べたからかもしれない。とにかく文章がきちんと頭に入ってきて、自分の言葉で噛み砕くことができた。文章が読めると、諦め掛けていた野望がふつふつとまた私に夢を見せてくれる。

 水辺に栄えた街だった。人々は水と共に生きていた。船を使って岸を移動し、魚を取って食べ、穏やかに過ごしていた。人々は生活のほとんどを水辺と、水辺の周りの自然の中で過ごした。穏やかで豊かな日々だった。しかし、ある時から、天候が荒れ、強い渦の流れと高い波を持つようになり、昔の水辺とは比べ物にならないくらい底も深くなった。水中で亡くなるものが増えた。幼い子供は水辺に近ずくことを禁じられた。すぐに船や水辺での生活が難しくなり、人々は悩んだ末、大きく丈夫な橋をかけることにした。溺れる心配をせずに安心して向こう側の岸に渡れるようにと、人々はこの計画に賛成だった。橋がかかってもなお、水辺は荒れ続けた。以前のような水と共にある豊かな暮らしはできなくなったが、早くものを運べ、移動ができ、生活は便利になった。魚も取るのが楽になった。それでも数ヶ月に一度誤って水辺に近ずいたものが水辺に落ち死亡する悲劇が起こっていた。人々は水辺から離れたところに生活の拠点を移そうと新しい計画を立て始めていた。